私の祖父は二人とも、青春時代を戦争と共に生きました。
父方の祖父は原爆の被害を直接受けてのケロイドがありました。
頭にも鉄砲傷がありましたが、私たちはそれについて直接話をしていません。
被爆の経験と共に戦争についての話を封印し、被爆者手帳も捨てた祖父。
私たちの中には暗黙のルールがあり、祖父と戦争の話はしませんでした。
それに対し、母方の祖父は大東亜戦争での中国前線の話をよくしていました。
軍歌もよく歌っていたし、まさに「戦争が青春だった」世代の人でした。
でもその内容には、後悔であったり悲哀を帯びたものが多かった気がします。
日本軍に怯える中国人の母子が哀れで、こっそりお小遣いを渡したこと。
月明かりの中、戦死した友を越えて用を足しに行ったこと。
私はそんな話を聞き、耳の遠い祖父の音痴な軍歌を聴きながら育ちました。
この仕事を始めてからは、祖父たちの経験した戦争をもっと知りたくなりました。
祖父たちの抱えていた想いを汲み取りたいという気持ち。
そんな世代の人たちに、ほんのちょっとだけでも寄り添いたいという気持ち。
私は、あの戦争で散った桜を尊く想うのです。
片ときも、決して忘れず。
桜を見るたびに涙する遺された人々をいとしく想うのです。
知覧特攻平和会館私もたくさんの桜の花を想いながら、『月光』を弾きたくなりました。
私たちに、こうして続く一瞬の平和を贈ってくれた儚くも高貴な花よ、ありがとう。