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2005.11.07 (Mon)

携帯より

ここ数日、仕事を含め勉強会など、充実した時間を送ってます。
今はプロトコルを仕上げなければならなくて時間がありません。

北本先生との出会いで、私の中の仕事に対するモヤモヤが綺麗になくなりました。
こんな出会いは初めてで、自分でも驚いています。

そのことを含め、色々書きたいことはあるけど、ちょっと時間がありません(>д<)
新たに某資格試験の勉強も始まったし…(^_^;)

とりあえず元気ですっ♪って報告でした~(^o^)
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23:51  |  日常 Daily life  |  TB(0)  |  CM(12)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

おお~、嬉しい忙しさですね(^^
実際の仕事に関連すると、勉強にも身が入るし、目からウロコなこともあるのでしょうね! 風邪などひかないようがんばってください! 応援しとります。

俺も今月放送大学の面接授業で、以前猛烈に感動した京大の先生の講義があるので楽しみです。臨床心理です。心理関係の職に就くことはあまり考えていないのですが、前回の講義の後は4時間かけてレポート書いて、一週間何も手につきませんでした(笑)

では!
よっしー |  2005.11.08(火) 06:39 |  URL |  【コメント編集】

私も以前、放送大学やってましたよ~(^^)
発達心理系の単位をいくつか取らせていただきました。

私はラジオよりもテレビでの講義の方がより理解できるんです。
まだ面接授業は受けたことがないなぁ~。

以前「あだ名(のぶこ姉さん)」のときの話題で
普段他の人たちには変な名前をつけるのに私にだけは「のぶこ」
という点をつかれていたときに「鋭い読みをされるなぁ~」と
思っていたのです。なるほど。臨床心理の勉強されてるんですね。

私のスーパーバイザーは臨床心理士と精神科医ばかりなので
どうしてもそっちの方の色が強くなってしまいます。

PTやST、整形外科系のドクターなど、バイザーによって
いろいろと見解も変わってくるんだろうなぁ~と思いますが
私の臨床ベースは、今のところ心理系に偏ってるかなー。

よっしーさんは洞察力あると思いますよ~(^^)
心理屋さん、向いていると思います。
管理人 |  2005.11.09(水) 09:37 |  URL |  【コメント編集】

ふーみんさんこんばんは。土曜日からの火曜日にかけての記事、興味深く読ませて頂きました。素晴らしい先生やお友達に恵まれておいでなのですね。よく思うのですが、大変なハンデや悩みを抱えた方に本気で関わる、医療や心理療法に携わっている方の言葉というのは、どこかすっと心に入ってくるような気がします。

俺の好きな言葉に、「傷ついた医者にしか患者は治せない」というものがあります。ユングが精神科医としての自分の信念について述べたものですが、上の方から・自分が絶対に正しいという立場から患者にものを言う、つまり自分が決して傷つかない立場から患者に向かい合っていてはダメだ、というような話の文脈だった気がします。Wounded Healer(傷ついた治療者)の話というのは、多くの文化の神話に見られるという指摘には唸らされました。

来談者と対等の立場で、いつも本音・本気で勝負していると、人間が鍛えられて行くのでしょうね(^^ 適性があれば是非やってみたいなーと思いますよ(笑) 以前は絶対嫌だ! と思っていたものですが。。

臨床心理の勉強は、したうちに入るのかなぁ。放送大学の心理系の科目はずいぶん取りましたが、ほとんど記憶に残ってないです(笑) また、ふーみんさんの本の紹介に多くあるような実践的な色彩のものはほとんど読んだことないです。

ふーみんさんは、もう放送大学には所属していないんですか?
面接授業は癖になりますよ。放送授業のようにシナリオがないので、同じ顔を見ながらの講義でも全然おもむきが違います。先生がすごい楽しそうなんですよ(笑) 大学にいたときの自分を猛烈に反省しましたね。ほとんどの講義が初心者向きなので、まったく畑違いの分野の講義をとるというのも面白いです。

でも、ふーみんさんはこれから大学(院?)で勉強されるんですよね?
いいなー(T_T)
よっしー |  2005.11.10(木) 00:50 |  URL |  【コメント編集】

そうですね。
人の痛みを知らない人には人間としての深さがないと思います。
深さがなければ、相手を知ることなんてできません。
心の痛みを受けつつも、強く立ち上がった人は本物だと思います。

ある精神科領域の患者さんに、どこかの医師が言ったそうです。
「精神科の患者なんて本当はいない。医師が患者を作っている」
その患者さんはそれを鵜呑みにしてしまいました。

言いたいことは分からなくもないですが、この医師はきっと
自分では解決できないほどの痛みを味わったことがないのでしょう。
きっと小さい頃からエリートコースで歩んできた医師でしょうね。

精神科が患者を作るわけではありません。
風邪を引いた人が風邪薬を飲むように、
心にも薬も必要な時があります。

人は弱いものです。その中でも心は最ももろくて崩れやすい。
その医師は、そんなことも理解できない医師だったようです。

ただ、セラピストがまだ何らかの問題を抱えこんでいる場合
相手をなかなか解決の方向へ向けられない事があります。

リスカ族の人たちが精神科で働きたがることがあります。
たいてい「患者さんの気持ちがわかる」って言うんですよね。
でもそれって「わかる」だけなんですよね。

自分もまだその場所にとどまって解決できないでいるのに
他人を解決できる方向に向けることはできないんです。

それどころか、闇に引き込んでしまう場合もあります。
精神科領域の病気を持つ人たち同士って引き合うんですよね。

だから私も、子供を亡くした親のセラピーは絶対にしません。
うちの学生にも、まだ何かしらで揺れている状態の子は
絶対に現場に出さないという暗黙の決まりがあります。

過去がどうであれ、セラピストの心は健康でなければ
自分自身が揺れてつぶれてしまうのです。

そのために、揺れない自我。だけど相手や場を感じられる人。
相手を診て推理できる洞察力。その治療法を考える応用力。
という資質を持っている人しか、残っていかないかもしれません。

『息子の部屋』っていう映画観たことありますか?
この映画には、そのような内容も出てきて、ちょっと辛いです。

私もスーパーヴィジョンを受けながら、自分のもろい部分を
少しずつクリアしています。まだまだヒヨッ子なんですよ~。

ところで、放送大学は現時点では受けていません。
またいつか再開するかもしれないけど、予定は未定。
今勉強している資格が取れたら再開するかも(^^)
管理人 |  2005.11.11(金) 01:42 |  URL |  【コメント編集】

『息子の部屋』見たことないです。子どもを不慮の事故で亡くした精神科医の話なんですね。でも、治す側の資質という問題はいろいろ考えさせられます。お金を払ってまで治療を受けてるのにますます悪くなってしまっては意味ないですものね。職業倫理としてゆるがせにしてはいけない部分なのかもしれません。

とはいえ、辛い体験等あると、心の存在をリアルに感じるようなところ、ありますよね。ちょっとした一言で何ヶ月も日常の細々したことが手につかないほど落ち込んだり、逆に、すごく癒されたり。
この「傷つく心がある」という認識は、医者であれ、身近な家族・友人であれ、持っていて欲しいものです(^^

ふーみんさんならきっと、患者さんが安心して頼ることのできるセラピストになれると思いますよ!

そういえば、『夜と霧』読んだことありますが、あの人はまた、あり得ないほどタフですよね。。感じる心と揺るがない心の強さ、どちらか一方というのもダメな気がするし、両立するようにも見えるし。うーむ。

でも俺は、どっちか取れって言われたら、タフになりたいです(笑)

河合隼雄先生だったかな。ご著書で、日本の昔話でのWounded Healerの例を挙げられてました。夢で出てきたお地蔵さんが病気を治してくれて、そのお礼にと実際そのお地蔵さんのところに行ったら、自分が病気だった箇所にヒビが入っていたという。

こういう傷を受けても保ちこたえる強さ、総スカン食っても言うべきことは言える強さ、なんかあこがれるんです。
よっしー |  2005.11.11(金) 08:19 |  URL |  【コメント編集】

そうなんですよー。治療者ってそのお地蔵さまなんですよね。

その場では限りなくクライエントと向き合い、分かち合える。
でも、それでも自分は倒れないタフさも必要なんですよね。

傷を負っても、それはすぐに治せる程度でなければならない。
相手の傷が深くても、自分に負う傷は深くてはいけないんです。
ちょうど良い具合に持ち合わせている人って少ないかも。

セラピストにとって共感性理解は必要不可欠だけど
まだ心が揺れているセラピストだったりすると
自分自身がそこに留まってしまったりするんですよ。

自分が辛くないためには、タフでいられることが必要ですよね。
でもあまりにタフすぎる人は、相手の心に届けなかったりして。

夜と霧のフランクルは、とても冷静に見つめていますよね。
だけど、あの中にも出てくるように、ナチス側の人の相談を受け
親身になって解決法を見つけ、少しだけ良い計らいを受けたり
相手が誰であれ、共感できる心も持っているんですよね。

どちらかといえば研究者向きのような印象もありますが
とても素晴らしい精神科の医師だと思います。

ロゴセラピーは、あらゆる場面でも用いられることですが
「あなたは生きていることだけでも価値がある」
「人生において、今の辛いことにもきっと意味がある」
「自ら、自分の人生を決める自由がある」
実際これだけで、人って素晴らしく変われると思います。

フランクルは辛い逆境の中で、真の強さや優しさを学んだんでしょうね。
同じ体験をしても、全然別の意味に捉えてしまう人もいるわけだから
やっぱりその部分が資質というものなのかなぁ~。
管理人 |  2005.11.11(金) 17:31 |  URL |  【コメント編集】

いやーおもしろいです(^^ 実際ロゴセラピーというものがどんなものか知らなかったですが、ふーみんさんの挙げられてた3箇条は、あーわかるわかるっ! って感じですよ(笑)

ほんとそれだけで人間変われるんですよね! でも、世の中はマイナスメッセージばかり。実はその3箇条って、恥の文化ニッポンの価値観とは真っ向から対立してるような気が(笑)

障害を持った子どもが生まれたりすると、受容はできても、最後まで周りに迷惑かけないように、同じようにできなくて申し訳ないっていう意識だけは残り続けますよね。エベレストに登頂できてもすごいけど、100メートル歩けたことがすごいっていう人もいて、そういうことを喜ぶような価値観って必要だと思うんですけどね。その子のためだけじゃなく、自分が充実して、ベストパフォーマンスを発揮して生きるためにも。

一昔前、話題になった乙武君なんかは、この線に当てはまらないというだけで俺には衝撃でした。あの自信、あの自己肯定感、あの自然体、ちょっと見習いたいです。むしろ嫉妬を覚えるくらい。
よっしー |  2005.11.11(金) 18:22 |  URL |  【コメント編集】

障害を持つ子供を持った場合、それは母性にも値すると思うのですが、母親ならではの苦悩を持つものなんです。男性には理解できない気持ちも多く、やはり子供と共に過ごす妊娠期間というものは大きいわけです。

女性はまず、身体の一部として妊娠を確認し、身体の中で子供が成長する喜びを感じます。妊娠した瞬間から、大きな未来を想像し始めるのです。

それが突然奪われると、まずは自分自身を問いただします。妊娠期間の自分の行動から考え、あれがいけなかったのか、これがいけなかったとか。そのうち、妊娠とは全く関係のなかった頃の過ちなどを悔いはじめ、更には自分の運命や生まれてきたことに疑問を持ち始めるのです。それは、自分の存在価値を否定することになります。

家庭環境によっては「うちの家系には障害者はいない。あなたの家系じゃないの?」と夫側の家族に言われる人もいます。日本だけではなく、出産などのトラブルは全て母親に押し付けられるのです。

障害者が生まれる確率は決まっていて、更にその身が誰に降りかかるかも、全て平等に与えられたものです。決してその母親が悪いのではないということを少しずつ理解してもらうしかありません。

障害児を持つと、親はとにかくよく勉強し、療育に励みます。それも全て、自責をクリアできないところにあるんです。いずれ母親は疲れ、自分自身を見失ってしまうことが多く、それを未然に防ぐのも私たちの仕事の一つです。話し相手、理解者、更に子供ができることを一つ一つ本気で喜んでくれる相手が必要なのです。

よく心理学の人たちが「私のせいで」と子供に対して思うことは、子供を上から見ているに過ぎない。という言い方をします。「普通」という尺度に捉われすぎているからだと。

でもそうではないと思うんですよね。うまく言えないんだけど。
自分だけが健常と言われることに対し、やはり自責の念が湧くものです。

私の場合も、新生児死亡・胎内死亡は確率上必ず起こりうるものであり、その確率は万人に当てはまると頭ではわかっていても、たぶん一生納得はできません。でも納得できない自分に対して「そんなものだろうな」って思ってます。実際は、そう思えるかどうかが、心理的な作用を左右するんだと思うんですよね。

私が障害児の親に出会って、一番目に取り掛かるのが、心の呪縛を解く事です。子供の療育と平行に、親のサポートをすることが、本当はとても大切だと思うんですよ。親が楽になれると、子供もとても楽に生きられるはずですもんね。

養護学校や障害児の施設などの親は、離婚率がとても高いんですよ。
そういう点にも、両親の心のケアの必要性を感じます。

ロゴセラピーと同様に、アドラーの心理学も面白いですよね。
自分を肯定するっていうのは、簡単なようで難しいものです。
管理人 |  2005.11.12(土) 15:32 |  URL |  【コメント編集】

不用意な言葉でしたね。。反省してます。

障害を持つ高校時代の友人を思い浮かべてつい書いてしまいましたが、自責の念に苦しんで燃え尽きてしまうかもしれないお母さんには絶対言ってはいけない言葉だったのかもしれません。

「今、自分はこれで良い」って思えるのも、周りの人の支えあってこそのこと。日本の文化とか一般論言ってしまった自分の軽率さを恥じてます。ふーみんさん、どうもすみませんでした。

離婚率高いんですね。。一番しんどいときに、大事な人が離れていったり、責められたり、ほんとに胸が痛みます。でも、お話聞かせていただいてありがとうございます。もっといろんな立場の人のこと、知らなければダメですね。
よっしー |  2005.11.12(土) 22:38 |  URL |  【コメント編集】

いえいえ。そんな謝ることじゃないですよ。

子供が障害者になったり、死亡したりした場合。
かなりの確率で離婚の問題が出てきます。

理由としては、意見が合わなくなるのももちろんですが
「パートナーが背負う重圧」を考えたときに
好きだからこそ別れるというのもその要因なんですよ。

この子は自分が生んだ子供。私が育てる。
でも、もしここで別れれば、あの人はまた別の人と結婚して
傍目に幸せな生活を送っていけるかもしれない。

という自己犠牲だったりもするわけです。
それを分かち合い、一緒に育ててこそ夫婦だという人も
いるとは思います。たぶん本当はそれが一番でしょうね。

でも、私はこの気持ち、痛いほどわかります。
管理人 |  2005.11.13(日) 19:58 |  URL |  【コメント編集】

うーむ、そうなんですか。。

実は、って構えるほどのことでもないのですが、俺にも、傍目にはわからないほどですがごく軽い知的障害のある姉がいます。家事とか簡単なバイトとかはできるので今は彼氏と仲良く暮らしてますが、俺にとっては姉がいたからこそ助かったことってたくさんあるんですよ。小さいときはそれは周りがびっくりするほど姉のことをいじめたりもしましたが、姉がいたからこそ、どこか、世間的な成功とか能力の優劣以外に人を見る視点ができたようなところがあります(お金は大事ですけどね)。

別れてしまうなんて、非常に惜しい気もしますが、でも実際、ハンデを抱えた子どもが生まれたという事実を受け入れること、育てるということのしんどさも並大抵のものではないのでしょうね。うーむ。。

母親が早くに亡くなったせいもあるかもしれませんが、姉についての養護学級の先生や学校の先生のサポートは、それはそれは献身的なものでしたよ(^^
よっしー |  2005.11.14(月) 02:18 |  URL |  【コメント編集】

今でこそ学校での支援体制も整いがちですが、
それでもよく分かっていない先生方も多くてまだまだ。

そんな中で、お姉さんに対するサポート力は心強かったですね。

問題の重さが大きいほど、夫婦の結びつきが強くなる。
なんて、理想もいいとこころ。現実はもっと厳しいですね。
管理人 |  2005.11.16(水) 15:44 |  URL |  【コメント編集】

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