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2005.08.06 (Sat)

ヒロシマ

60年前の今日。祖父は広島の赤十字病院で被爆した。

自分のことや戦争のことを、あまり話したがらなかった祖父が、どういう経歴を得てどのような地位を築いたのか、私はほとんど知らない。

被爆者手帳を持っているということは母から聞いて知っていたが、そのことについて自らの体験を話すことはなかった祖父。あまりにも悲惨な状況下で自らも被爆し、そのことについて思い出すことさえ辛かったのだろう。祖父の青春時代の記憶はあの原爆によって、影を落としてしまったのかもしれない。

よく「悲惨な体験を語り継がなければならない」といった言い方をするが、それにはその人のキャパや人生観などが影響してくるので、私は一概にそうとは言えないと思っている。目の前で死んでいく友を前に、脳裏に焼きついたその光景や、救えなかったという自責の念を封印しようとする事も、一つの防衛本能だと思うからだ。

現に今、私もそうやって生きている。祖父が同じであったとしても何ら不思議はない。

そんな祖父の経歴を知ることになったのが、『日本近現代史(西日本版)』だった。この本に祖父が載っているのだが、そこで初めて私は祖父の過去に少しだけ触れることができた。

祖父の頭には、ランボン島でうけた銃弾の痕があった。腕にも被爆時のものなのか、ケロイドになった大きな傷跡があったが、私たちがそれを見て怖がらないようにと、ずいぶん気を遣っていたそうだ。祖母の話によると、小さい頃祖父とお風呂に入るときも、その傷が私たちに見えないようにといつも配慮していたらしい。

それでも何度か見た事がある傷。それはまさに戦争の悲惨さを伝えるものだった。

そうやって育ってきた私にとって、原爆や戦争は決して遠い話のものではない。それどころか、いつも身近に感じるもの。

私の父は、祖父の被爆後に生まれているので被爆2世となる。その父と、父の2つ上の兄である伯父は、足などに発疹ができることがある。そこから血が出だすとなかなか止まらない。あくまでも原因不明となっているのだが、祖父の被爆に関係しているのだろうとも言われている。

さらに私たち被爆3世は隔世遺伝世代にあたり、何かしらの影響を受けやすいとも言われる。特に生殖機能に関し影響を受ける可能性があるという話から、いつだったか「あんたが子どもを生むときが心配」と言われたことがあるのを思い出した。

そして私は長男を低体重で出産。
長女を誰も予期せぬ「稀」だと言われる病気によって失った。

もうこんな悲しみは繰り返したくない。身体と心にに負った傷で、過去を奪われることのないように。輝かしいはずの未来を、暗闇に落とさぬように。誰かが大切な人を失い、一生その深い悲しみを背負っていくことがないように。

…切にそう願う。


『NO MORE HIROSHIMA』




↓『日本近現代史』祖父のページ内容の一部を簡単にまとめています。

【More・・・】

harumi.jpg晴己氏は16人兄弟の3男として出生。16歳の時父が死去し、地元校を卒業後は大阪に出て、大阪製鈑株式会社に入社。そこに4年間勤務した。20歳で甲種合格、昭和12年に入隊したが、病で一時帰郷。その後太平洋戦争が勃発したのをきっかけに召集され、大村歩兵連隊に入隊。その後中国派遣軍になり南京戦に参加、ついで上海、南方マニラ、フィリピン、ラバウル、ブーゲンビルと転戦を重ねるが、ランボン島にて敵機の機銃掃討を受けて負傷する。ラバウル、パラオ、マニラの各病院を経て、広島赤十字病院で加療中に被爆。そして終戦を迎える。同年9月に郷里の福岡に戻り東洋繊維に入社後、地元有志の勧めで築上信用金庫に入社。そこで7~8千万円だった同金庫の預金高を、理事長退任時には170億円にまで膨らませた。理事長退任後も理事相談役を続け、現役当時から地域の活性化にも力を注ぐ。さらに昭和61年秋には叙勲にて黄綬褒章授与の栄誉に輝くなどしたが、平成15年12月、人びとに惜しまれつつ他界した。スポーツマンであった氏は、野球連盟理事長や市体育協会理事長なども歴任し、ボーイスカウト福岡県連盟では初代団委員長にも就任した。
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13:23  |  日常 Daily life  |  TB(1)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

*Comment

■私も被爆3世

ちょうど一年前くらいのブログのようですが、何気なくここに飛んでしまって拝見しました。
私は九州出身なのですが、母方の祖父が当時兵隊で応援の為?広島原爆投下の翌日に(それを知らずに)広島入りして被爆しました。
なので、私も被爆3世です。
最近、隔世遺伝で後遺症が出るという話を耳にして、色々と調べようと思っていたら、このサイトに来ました。
祖父は数年前に肺がんになりました。手術をして今は元気ですが、肺が片方ないのでやはり今でも辛そうです。
原因はタバコだろうと言っていましたが、母は被爆の影響もあるだろうと小声で言っていました。
やはり、母のこと、兄弟のこと、そして自分のこと・・・と、心配で気になります。
私、結婚しているのですが、どうやら主人のお母さんがそういうことに敏感なようで。。。そのとき初めて「差別」的なものがあるんだなとショックを受けました。
母も兄弟も自分もいたって元気なので、今までこれといって何も気にせず生きてきましたが、その時やはり被爆3世なんだと改めて実感しました。
何気なく話した私に最初はびっくりしていた主人も、そのことはわざわざ言わなくてもいいだろうということで、未だ話していません。バレた時の事を考えると不安ですが、主人を信じて頑張ろうと思います。
出産では、やはり何らかの影響はあるのでしょうか。
毎年8月6日が近付く度に、不安と胸騒ぎで少ししょんぼりしてしまいます。
アネモネ |  2006.07.03(月) 20:33 |  URL |  【コメント編集】

はじめまして。アネモネさんも被爆3世にあたるのですね。
世の中はまるで、被爆者の苦しみは終わってしまったかのように過ぎています。でも、私たち3世の苦しみや不安は、今も日々影を落としていますよね。

後遺症があるのか。お産に関係するのか。
私にはよく分かりません。
2度の流産も、息子の低体重も、娘の死も。
被爆3世が原因なのかは分かりません。

でも、その可能性は捨てきれないと思います。
だからといって、そうだとは言い切れません。

たとえば私の臓器に何かの障害が見つかったとしても、それを祖父の被爆が原因だと確証だてるものが何もないのです…。

もしかしたらこの記事で、不安を煽ってしまったかもしれませんね。

祖父は胃がんで死にました。
でも、被爆していない母方の祖父はもっと早くにすい臓癌で死にました。
被爆した方の祖父は本当に元気な人で、風邪一つ引きませんでした。

病気の原因が本当はどこにあるのかなんて、実際のところ分かりません。

隔世遺伝での影響が出なければ、その後の代に影響が出る確率はほとんどないという話を聞いたことがあります。
今アネモネさんが特に健康を害していないのならば、なるべく気にしないように、今を精一杯過ごしてください。

心配しないでっていうのは難しいと思います。
でも、私たちは生きてるんですから。大丈夫ですよ、きっと。

何かあったときは、お互いに励ましあいながら生きていきましょう!!
ふーみん@管理人 |  2006.07.04(火) 00:15 |  URL |  【コメント編集】

■ありがとうございます。

ふーみんさんの言葉、とても元気と勇気付けられました。
本当にありがとうございます。

私も結婚するまでは何とも思っていませんでした。
九州ということで(長崎はあるかもしれませんが)、被爆3世の知り合いは周りにもいなかったし。
母も私たちに普通に話をしてくれるし、私も友達などに話していたし、あまり深く考えていませんでした。
母方のいとこ達も勿論そうですが、そんなこと知っているのか知らないのか、いずれにせよとても元気に過ごしています。

戦争のこと、やはり母方の祖父からは、あまり話を聞いたことありません。
小学校で「おじいちゃんやおばあちゃんに戦争のお話を聞いてみよう」みたいな学習がありましたが、その時も父方の祖父母に聞くことはあっても、一番経験している母方の祖父には話を聞いた記憶がないのです。
兵隊姿の集合写真などは見せてもらった記憶はありますが、祖父の言葉は記憶にないです。
やはり、思い出したくない光景だったのかなと思います。

ふーみんさんも、色々と辛い体験をしてきたと思います。
私達にこれから訪れるであろう沢山の病気などの事象は、やはり後遺症が原因だとは一概には言えませんよね。
しかし、可能性がないともいえない。。。
けれど、ふーみんさんが言うように、現に私自身元気だし、母も兄弟も姪もみんな元気なので、あまり気にせずに今を精一杯生きていきたいと思います。

ここにこれて、ふーみんさんとこうしてお話が出来て本当に良かったです。
これからもお互い頑張って生きていきましょうね!

たまにブログ拝見させて頂きます(^-^)/


アネモネ |  2006.07.04(火) 09:28 |  URL |  【コメント編集】

「戦争の話を語り継ぐ」と言いますが、それぞれキャパシティがあるから、やっぱり話したくない人も多いと思います。
私たちには想像もできないような体験だし、どちらがいいとも言えませんよね。

祖父は戦争の話を絶対にしませんでした。
腕にあるケロイドを隠すため、真夏も長袖を着ていました。

祖父にとって戦争は、語ることさえ許されない経験だったのだと思います。

被爆した後、祖父は広島の中を救助で歩いて回ったそうです。
もしかしたらアネモネさんのお祖父さんともお会いしてるかもしれませんね。

地獄絵図などに描かれている絵を見るだけでも、私たちは身体の奥から湧き出るような恐さや怒り、悲しみを感じますよね。祖父たちはそれを実際に見ているわけですから、やっぱり心の底に蓋をしても当然だと思います。

そう考えると、悲惨な戦争を語り継ぐ人。
自分の中で何度も葛藤を繰り返しての行動なんでしょうね。

私の友人の祖母は長崎で被爆し、そのショックでその日のうちに友人のお父さんを早産で産み落としました。友人は被爆3世です。

友人も、そして私の従姉妹たちも。
心の中ではやっぱり少し也と不安を抱えていると思います。
なので何となくその話はタブーになっていたりして…。

私たちには手帳もないし、今は自分の健康を信じるのみですもんね。
大丈夫ですよ!って信じましょう(^^)!!
ふーみん@管理人 |  2006.07.06(木) 20:45 |  URL |  【コメント編集】

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被爆60年ヒロシマ原爆の日

1945年8月6日午前8時15分米軍のB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」により、原子爆弾「リトル ボーイ」が投下されました。 60年前の今日の事です。世界中の人が決して忘れてはならない日です。もう二度と悲劇を繰り返してはならない。そう思い返すためのとても大切な日です。
2005/08/07(日) 15:01:28 | 黍若日記

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