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2008.02.02 (Sat)

ゴーシュの世界

私の大好きなお話に、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』があります。

いつも楽団の中で怒られてばかりの彼の音楽。
その音には表情というものが感じられません。
でも彼は、水車小屋近辺に住む動物たちとの交流で変わるのです。

怒り、悲しみ、哀れみ、嬉しさや楽しさ。繰り返される感情の波。
それらが音に乗せられたとき、彼は素晴らしい演奏家になりました。

この物語にはアニメもあるのですが、以前私は最初の部分だけ観てやめました。
アニメは、あくまでもそれを作った人の映像世界。その人たちのゴーシュのイメージ。

私は、私の想像していたゴーシュ。水車小屋の風景。そして音楽。
そんな自分の中の『セロ弾きのゴーシュ』の世界を守りたいと思ったのです。

私にとって宮沢賢治の物語は、挿絵さえもいらない程、絵的で音楽的。
言葉はもはや、それ自体が音楽となり、頭の中で鳴り響いてきます。


また今回、この物語を読み返しました。

傷つくことや、大きな怒り、苛立ち。
そんな体験をするからこそ、人は心を育くんでいけるんですね。

そして、その深い場所から引き上げてくれるのは、自分を必要としてくれる存在。

暗闇にいるとき、人は誰かを容易に傷つけてしまうものです。
自分のことで精一杯で、まわりへの配慮が欠けてしまうからでしょう。

だけど傷つけてしまった人への想いがあるからこそ、優しくなれるのかもしれません。
心の傷をたくさん知っている人ほど、本当に優しい人になれるのだと思います。

ゴーシュは今回もまた、私が今必要としているものを教えてくれました。

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*Comment

ふと気になって初めて読んでみました。

とある些細でしょうもない理由から、宮沢賢治さんの作品はあまり読んだことがなかったのですが、憐れみとか、優しさだけでなく、怒りや、悔しさ、惨めさ、ときに他者を深く傷付ける攻撃性も含めての人間であって、そういった人間存在である自分自身への畏れや悲しみだけでなく、そういった業のようなものも含めた生命の輝きみたいなものもきちんと目に入っていた方なのだろうなと思いました。

観衆や団員を感動させたゴーシュのアンコールの独奏が、自分のもとを訪れたあの気の毒な猫やカッコウに対するものと同じ「怒り」だったこと、それでもゴーシュを慕って次々と訪れた動物たちとの出会いをもたらしたのが、夜を徹して楽器を練習するゴーシュの鬼気迫る真剣さであったことなどに深く感銘を受けました。

生きるということは、どこかに「傷付けること」を含んでいるのかも知れませんね。

傷付ける悲しみは忘れず、かといって引き篭ってしまい、枯れた抜け殻になってしまうこともなく。

命は輝いています。

どうもです!
よっしー |  2008.02.04(月) 07:44 |  URL |  【コメント編集】

宮沢賢治はきっと、人間のきたない部分も含め、全部を人間らしく愛した人なんだと思います。

そして、絶賛を受けた演奏が、決してよくありがちな優しさなどではなく、怒りであったところがまた、宮沢賢治の人間を知り慈しんでいる姿をあらわしているような気がします。

そういえば小さい頃、「風の又三郎」の映画を観た記憶があります。
草刈まさおがでてたなぁ…。
ふーみん |  2008.02.07(木) 21:20 |  URL |  【コメント編集】

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